「タバコは大人のおしゃぶりなのではないだろうか」
僕が禁煙に踏み切る末期に持っていた考えです。
若いころはかっこいいと思って吸い始めたタバコだけど、中年になってまで吸っている姿は本当にかっこいいのだろうか。
「ちょっと一服」と言って、空を見上げてかっこつけて「ふーっ」とやってはいるが、実は周りからは「おえ、くっさ」、「ったくまたあのおっさん」と思われているだけなんじゃないか。
真剣にそんなことを考え始めたら、タバコを挟む指もプルプルと震えが止まらなくなるってなもんですよ。※しかしまだ何も言っていない人に、「だれがくっさいおっさんや!きいいい!」といきなりキレるようなヤバいおっさんにはまだなってはいないですけどね。はい、それはまだ大丈夫です。
また、その考えはいよいよ、タバコはもはや大人のおしゃぶりなのではないかという境地にまで達しましてね。
そうなると一気に何か自分のやっていることが恥ずかしいとまで思うようになってくるんですよ。
それもまた禁煙の糧の一つにはなるかなと思いますので、話していきますね。
ということで今回は、タバコは大人のおしゃぶりなんじゃないかということについて書いていますので、一緒に見ていきましょう。
タバコは大人のおしゃぶりだと考えてみる
別に本当にそうだという話ではないですよ。ただ、本気で禁煙を目指すのであれば、もれなく、あらゆることを想像して、意識して、自分に当てはめて考えてみることが大事という話です。
タバコが大人のおしゃぶりだという考え方もまたその一つ。
世間では、男は何歳になっても母親の〇っぱいが忘れられないから、心がさみしいときや人生がうまくいっていないときなどには特に、おしゃぶりの代わりとしてタバコを求めてしまうのだ。
なんていう嘘か本当かは分からない話もあるくらいですが、僕はこの考え方も非常に面白いなと思っていて、結局タバコがかっこいいと思うのも、ダサいかっこ悪い情けないと思うのも、個人の考え方次第ですからね。これは別に熱くなって議論するところではない。
そうであれば、禁煙をぜひしたいという人の考え方としては、やはりタバコへのイメージは悪ければ悪いほうがいいのではないかと思うんですよね。そのほうが我慢や未練がよりなくなるから。
そこで僕はこのタバコは大人のおしゃぶりということを深く掘り下げて考えるようになりました。
確かに、禁煙を始めてすぐには「くちさみしい」だとか、「手持ち無沙汰」、「何か口にくわえていたい」という感情というか、強い欲求が表れてくることが自覚できます。
じゃあ、おしゃぶりこんぶでもしゃぶるか、いや、するめでもしゃぶろうか、いや待てよ、ココアシガレットをしゃぶり倒そうか。
いや、どんだけしゃぶりたいねん!!!
と自分に突っ込まずにはいられないわけですよ。
そんなにしゃぶりたいか?なんかしゃぶっとらな落ち着かんのか?
そう考えていたら、非常に滑稽に思えてきましてね。
なんというか、そんなにしゃぶるものがないと生きていられないのかな俺と。
赤ちゃんならかわいいですけど、中年のおっさんがですよ?
とよくよく考えてみたんですよね。
意識していると恥ずかしくなってくる
人の意識というのはおもしろいもので、例えば夏の砂浜なら海パン一丁で寝転んでいても恥ずかしくないですが、電車の中に海パン一丁は恥ずかしくて仕方がないですよね。
不適切な場所や、他者の視線、他者から見た自分のイメージの想像が変化することで、同じ格好でもかっこいいと思えたり、逆に恥ずかしいと思ったりします。
タバコを吸っている姿も同じで、今まで自分はタバコを吸っている姿が男らしくてクールでかっこいいと思い込んでいたものが、急にみじめでダサくてかっこ悪いものと思うようになったらどうでしょう。
ちなみに最終的に僕は、もはや隠れてタバコを吸うことさえありましたからね。なんとなく、みっともない気がしていましたし、やめたくてもやめられない弱い自分がとても情けなく思うようにもなっていました。
意識というか、心理の話かもしれませんね。
であれば、その心理を徹底的に利用しようというのが今回の話です。
例えばそういった意識のもと、他のタバコを吸っている人を見ることにしました。いや、というか自分も含めてそういう目で見てしまうようになってきたと言いますか。
すると、紙タバコにしろ電子タバコにしろ、やっぱりおっさんがちょくちょくちょくちょくと、おちょぼ口にして細くて小さなものを何度も口に運ぶ様は、どう見てもかっこいいものとは思えなくなっていったんですよね。
特に、はやりの電子タバコにおいては、本当におしゃぶりのごとく、手のひらでにんぎと握って、ドラえもんのような丸い手を口に持って行ってちゅぱっと吸う知り合いの姿をまざまざと見ていて、「うわぁ・・・」と思っちまったんですよね。
こうなるともう末期症状ですよ。
これはあかんわ。到底かっこいいもんじゃないでこれと。
あくまで自分の感想ですよ。
僕にはそう見えるというだけの話。
でもこのことは僕の中では本当に大きな変革でしたよね。
「なるほど、他人からはこんなにみっともなく見えるんだ」、「自分もこんなふうに見られているんだな、思われているんだな」ということにはっきりと気がつけたんですから。
これにはもう一つメリットがある
実は、タバコをもはやおしゃぶりと考えてしまうことには、もう一つ特筆すべき大きなメリットがあるんですよ。
それは、禁煙してもタバコの代替品に手を出さなくて済むということです。
タバコの代替品とは、いわゆる新しいタイプの電子タバコや、ニコチンレスのフレーバーを味わうような、何かしらそういうタバコに似た疑似アイテムのことです。
「タバコより安くて済む」というようなうたい文句で、よくネットなどで販売されているのを目にしますね。
僕はもうこういったものには一切手を出しません。
なぜなら、もう何かをしゃぶったり吸ったりという行為自体を、生活の中から排除したいからです。
タバコじゃないからオッケーではなくね。
何かをくわえていないと落ち着かないとか、何かを吸っていないとイライラするとか、そういった状態をそもそも無くしたい。
あとはそういうものに使う支出自体もゼロにしたい。
だからこその自力での完全禁煙を敢行しています。
ただ、ある意味こっちのほうがラクですよ。
何かを買い続けるとか、何かに頼り続けるというような、だらだらと、こまごまとした手間や悩みがきれいさっぱり無くなりますから。
そして、その状態こそがなんとなく、自制心のある本来の大人の姿に成れたような気もするんですよ。実際。
だからいつも僕は、禁煙をしたらタバコを吸わないでいられる自分を誇り、しっかり褒めましょうという話をしているんですね。
かっこいいじゃないですか、タバコを吸わない姿も、何かを克服できた強さも。
そう思いませんか。
そんなことをどう思うかも、すべては自分次第なんですよ。
おわりに
まずはいろんなことを徹底的に意識すること、考え方を変えてみること、気づくこと。
こういったことが禁煙するうえでは非常に重要なポイントになります。
禁煙のコツの一つとも言えますね。
自分が何をどう考えるかは、自由です。
今回の僕の話を聞いて、なるほどなと思うのも自由。何を言っているんだこのおっさんはと思うのも自由なんです。
が、本気でタバコをやめたいなら、まずは自分をしっかり見つめ直さなきゃ始まらないですからね。
少なくとも、タバコを吸わないあなたを僕はかっこいいと思いますよ。^^
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それでは今回はこの辺りで。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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