「ああ、タバコをうまそうに吸ってるな・・・」
禁煙を開始したあと、他人がタバコを吸う姿を遠目に見ながら、このように思ってしまうこともあるでしょう。
実際に僕も禁煙にまごついていた以前には、そういったことはよくありましたよ。今は全然そうは思いませんけどね。
自分自身が禁煙を頑張っている、吸いたい衝動にぐっと耐えている、そんな状況では、よりこのように考えてしまうことは多くなりますよね。
他人の喫煙行為をうらやましいと思ってしまうこと。
これも禁煙あるあるなんですね。
でも心配することなかれ。本質はその逆。
多くの喫煙者が、
タバコをやめた人をうらやましく思っている
わけですから。
禁煙を決断し、禁煙を始めたあなたが、タバコを吸っている人をうらやましく思う必要なんて一切ないんです。逆なんです。うらやましがられているんです。
タバコをやめたことを自慢するなんてことをあえてする必要はありませんが、ぜひ、自信をもってそのまま禁煙を続けていきましょう。
ぜひ、もっとうらやましがられていってください。
そうすることがあなたのため、そしてゆくゆくは「自分も禁煙をしようかな」と考えている人の後押しにもなっていきますからね。
ということで今回は、禁煙後に他人の喫煙をうらやましがる必要なんて一切ないということについて書いていますので、一緒に見ていきましょう!
実は多くの喫煙者が禁煙したいと思っている
現在喫煙をしているが、「できればやめたいと思っている」「せめて本数を減らしたいと思っている」という人の割合は、いつのデータをみても、多くの場合で喫煙者の半数を上回ります。
タバコを吸ってはいるけど、できることならやめたい。そう考える気持ちは、一度でも禁煙してみようかなと考えたことがある人ならば、よく理解できますよね。
確かに僕もタバコを好んで吸っていた若い時分には、「タバコをやめたい」という感情を強く意識することは少なかったです。タバコは自分にとって必要なもの、タバコを吸わない自分なんて自分じゃないくらいの認識でしたからね。
それだけ自分の中でタバコの存在感や価値観が高かったということです。
しかし、それも中年といえる年齢にまでなってくると、より健康のことも嫌でも意識してきますし、同時にタバコの度重なる値上げなんかもあって、「やっぱりできればタバコをやめたいな」という考えにシフトしていったんですね。
ですので、
できればタバコをやめたい
このように考える気持ちは僕も本当によく分かります。
もちろん、「禁煙なんて一度も考えたことないわ」という人もいるでしょう。それはそれでその人の考えですから、僕はそれを否定するつもりはないし、実際にやめたほうがいいのかどうかで議論するつもりもありません。それはあくまでもその人の自由ですからね。
吸うも吸わないも、自由です。
ただ、この記事を読んでくれているあなたが、「本当は自分もタバコをやめたいんだよね」と考えているならば。そして、実際に禁煙をするという決断をして、今まさに頑張っているところなのだとすれば。
この言葉を胸に刻んでおいてください。
実は喫煙者のほうが、タバコをやめた人をうらやましがっている
ということ。
だってそうですよね。
その喫煙者とは、「できればタバコをやめたい」と考えていた、過去の自分そのものじゃないですか。
タバコをやめたいと願い、実際に禁煙に踏み切ったのに、タバコを吸っている人をうらやましがるのは、本当に滑稽な話なんですから。
他人の喫煙を意識してしまう気持ちは分かる
気持ちは分かりますよ。
「今タバコを吸ったらどんな感じだろう」とか、「ああ、あの一服の味はやっぱりまだ忘れられないな」とか、「何も考えずに空に向かって煙を噴き上げたいな」とかね。いろんなことを考えますよね。
そういったことを考えてしまう気持ち、僕にはよく分かります。なぜなら以前は僕もそうでしたから。
しかしですね、これははっきりと言いますが、今は違います。
そういった考えはすべて意味のないことだということをよく理解しているからですね。
たとえば「タバコを今吸ったらどんな感じだろう」という問いに対しては、「ただくさいだけ」だと知っている。「一服の味・・・」に対しては、「それは依存症なだけ」。「煙を噴き上げたい・・・」に対しては、「機関車ですか?」「もう格好の良いもんじゃないよ」とね。
以前とは、認識が違うんです。
タバコに対する認識がまるで違うし、吸ったところで何にもならないことも知っているし、後悔と禁煙をまた始めからやり直しになるという罰ゲームを背負いこむだけということをよく理解していますから。
なにより、禁煙を失敗したら、あっという間に喫煙者に逆戻りし、またしても禁煙できている人をうらやましがる生活に逆戻りするだけということをいやというほど学んできましたからね。だてに何度も禁煙に失敗してきたわけじゃあありませんよ。フフフ(自慢になっていない)
もう、試す必要はない。
そう胸に刻んでおるのですよ。
憐れみが必要だと、アレンは言う
もう迷わない。迷う必要はない。タバコを吸わない自分のほうがいい。タバコを吸わない自分のほうを望む。
ここががっちり自分の中で固まっていると、他人の喫煙がうらやましくなくなります。
むしろ「あの人もやめたくてもやめられないでいるのかな」と。「もしそうだったらかわいそうだな」と。
語弊を恐れずに書きますが、そういった「憐れみ」ともいえる感情までもがあるんですね。
しかし、これも本当に大事なポイントで、禁煙セラピーの著者であるアレン・カーも著書の中でこう言っています。
「彼らには、あなたの憐れみが必要なのだ」と。
どういうことかと言いますと、これは禁煙した者が喫煙者に対して決してバカにしたりさげすんだりする意味ではない、そんなことをしてもより喫煙者を苦しめるだけです。
そうではなく、その喫煙者が本当に「自分も禁煙したい」と考えたときには、ぜひあなたが助けてあげてくださいと。優しく寄り添い、その人の禁煙に対する不安を取り除いてあげてくださいと。禁煙のすばらしさを教えてあげてくださいと。そう言っています。
そう、これはまさに、他の違法薬物に依存してしまった人と同様。
たとえば、違法薬物に依存してしまった人を見て、あなたがそれをうらやましがる必要はないですよね。ということ。
そうではなく、身近な人がもしそこから「自分も抜け出したい」と願ったとき、あなたにその依存から抜け出す知恵があるならば、ぜひそれを教えてあげてください。それが本当の意味でその人を助けることになるのだと。だから彼ら彼女らには、あなたの憐れみの心が必要なんだと。
この話を聞いて、僕はなるほどなと思ったと同時に、自分の中での禁煙の価値がさらに上がりました。
もしこの先、「自分も禁煙をしたい」という人が僕の前に現れたら、僕は僕なりの禁煙の知恵を精いっぱい、その人に伝えようと思ったからです。
自分がまず先に禁煙する。
その禁煙が、また誰かの役に立つかもしれない。そうなれば僕の禁煙は、僕だけのものじゃなくなり、より意義のあるものになるんじゃないかと。
そんなことを、勝手ながら考えたりしているわけですね。
いつか誰かが心から禁煙をしたいと願ったとき、そっと後押しできる。
このブログがそんな存在になればうれしいです。
おわりに
ぶっちゃけ、他人の喫煙がまったくうらやましいと感じなくなったとき。
「ああ、僕の禁煙は成ったな」
と。そんなことも実感しましたよ。
自分の中で禁煙の意義が確立されて、迷いがなくなり、タバコを吸わない自分の生き方に心から納得できたからですね。
だからこそ、他人の喫煙にうらやましさはなくなり、「もし禁煙するなら、一緒にやりたい」とさえ思うようになったと。
エライ変化ですね。自分でもびっくりするくらいの変わりようですよ。
でも、その変わりようこそが、あれだけ禁煙に失敗してきた僕が、うまく禁煙できるようになったポイントなのだとすれば。
これはぜひあなたにもお伝えしたいですね。
さて、あなたは大丈夫ですか?
まさか、他人の喫煙をうらやましく思ってないですよね?
今一度ご確認を!^^
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それでは今回はこの辺りで。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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