「あなたがタバコをやめたきっかけはなんですか?」
こう聞かれたら、僕は「とにかく悔しかったから」と答えます。
何が悔しかったのかと言いますと、「タバコに支配されている自分」が悔しかった。そして情けなく思う気持ちもありました。もっと言えば、「何十年ものあいだ人一倍、国やタバコ会社にお金を搾取され続けている自分」にも腹が立っていたのです。
若いころ、ろくに考えもせずタバコにハマり、気がついたら何十年もタバコを吸い続けていた。そしていざやめようと思っても、自分の意志ではなかなかやめられない。何度も何度も禁煙に失敗してしまう。いい歳になっても、いつまでもタバコの奴隷。
そんな自分に情けなさと悔しさを感じていたのです。
いきなりなんでこんな話をするのかと言いますと、この「悔しさ」のような感情は、ある意味禁煙にとってかなり強い原動力になるんじゃないかと思いましてね。
悔しさ、情けなさ、怒り。
こういった一見すると負の感情ともいえるものが、裏を返せば禁煙のための強烈な原動力になる可能性もあると考えているのです。
ということで今回は、タバコをやめたきっかけはとにかく悔しかったからということについて書いていますので、一緒に見ていきましょう!
僕がタバコをやめたきっかけ
僕がタバコをやめたきっかけは先に言いましたが、とにかく悔しかったからです。厳密に言えば「強烈な悔しさを感じたから」ですね。
延々とタバコ代とタバコ税を搾取され続けているということを知りながら、そのタバコをやめられなくなっている自分。決して経済的にゆとりのある生活をしているわけではないにもかかわらず。
いや、むしろ経済的にゆとりのない人間ほど、タバコを好むというようなデータを何度も見て知っておきながら。
すでに罠にかかっているという事実を認識していながら、それに抗えない、そこから抜け出せずにもがいているだけの自分。
そんな自分を情けなく思うのと同時に、悔しさを感じていたというわけです。
ちなみに世間一般では、「タバコをやめたきっかけ」という調査結果を見ると、「自分や周囲の健康のため」、そして「経済的な理由のため」という結果が常に上位を占めていますが、もちろんこれは僕も幾度となく考えてきたことです。
自分の健康状態が気になるたびに、家族の受動喫煙が話題になるたびに、そしてタバコが値上げされるたびに、真剣に禁煙を考えてきました。
さらには子供が生まれたときも、新築の家に引っ越したときにも、「これを機に」と何度も禁煙にチャレンジをしてきました。
が、ダメ!!
それでもやめられなかったんですよね。これが。
今となってはその理由ももちろん分かっています。正しい禁煙の方法を理解していなかったし、自分に合った禁煙方法も確立していなかったことが原因です。
とにかく我慢や根性や気合で禁煙にチャレンジしていたころの話ですね。それでは禁煙成功の可能性は限りなく低くなってしまうということを今ではよく理解しています。
一度禁煙に失敗してしまうと、そこからまた何年もだらだらとタバコを吸い続けてしまうことにもなっていました。そうなるともはや禁煙に対して「諦め」という意識すら湧いてくるのも何ら不思議なことではありません。
しかし、それだけはしたくなかった。
それだけは許せなかった。
自分が一生タバコの奴隷でい続けることだけは何としてでも避けたかったのです。
その気持ちこそが今思えば「悔しい」という気持ちだったわけですね。
タバコに人生を支配され、人生の最後のときを迎えるまで、逆らえないなんて。
自分の人生をかけて稼いだ大事なお金の少なくない割合をタバコに費やし、ただひたすらに燃やし、灰に変え、捨てるだけ。
そして得られるのは病気と後悔だけですかと。
さらにはその地獄の罰ゲームのようなものを子供たちにも受け継がせ、親子どころか末裔にいたるまで代々継承していくのですかと。
一体いつまでタバコの奴隷でいたいのですかと。
そうやって自分自身に何度自問自答してきたか分かりません。
その背景にあったのは間違いなく「悔しい」という感情でした。
このままタバコに人生を支配されて終わるのは悔しい。タバコに屈するのは悔しい。
そして何より、自分の人生はまだ終わってはいないのだから。
タバコをやめることに遅すぎるということはない。今タバコをやめることができれば、それは残りの人生で一番早くやめられたということになるのだから。そのように考えていましたね。
決して「禁煙(卒煙)を諦める」という選択肢はなかったです。
もしそこでタバコに対して「悔しい」という感情がなかったとしたら。
そのときはもう、タバコをやめられない自分を受け入れてしまっていたか、あるいは考えることをやめてしまっていたかのどちらかだったかもしれません。
だから結果として僕にとってはこの「悔しい」という感情は本当に大切なものだったんですね。
悔しいからこそ何とかしたいと考える
タバコをやめられない自分が悔しいからこそ、禁煙に対して決して諦めることなく、「本気で何とかしたい」という気持ちになれたということですね。
そして禁煙に対して本気で向き合うからこそ、禁煙の有益な情報を得ようと考えて行動をするようになりますし、得た情報に対しても、素直で前向きに実践しようという気持ちが生まれます。
そう、禁煙は必ず人生のどこかで本気になる必要があるんです。
「いつかやめられたらいいな」「そのうちやめられるかもしれない」、そう考えている間に、驚くほど早く年月は過ぎ去っていくものです。まさに今までがそうであったように。
気づいたら10年、20年はあっという間に過ぎていきます。そしてその年月分のタバコ代も。
今から20年後には自分は何歳になっていますか?
僕は60代です。
人生の終わりまで元気にタバコが吸えればまだいいのかもしれませんが、それもそうとは限りませんからね。もしかしたら60代になる前に大きな病気をやらかして、別の意味でもうタバコを吸うことができなくなっているかもしれません。
実際に僕もそういう人を何人も見てきていますから、決して他人ごとではありません。
最後まで吸い続けても後悔、近い将来に病気で苦しむことになっても後悔。どっちにしても後悔しそうなら、選択肢は「今すぐやめること」。僕はこう考えました。
「後悔」こそがまさに最大の「悔しい」という結果になりますからね。後で悔やむくらいなら今やめようという話。
そう考えると今本気で禁煙をすることの意味や価値がさらに出てきませんか。
僕はこれ以上悔しい気持ちを味わいたくなかったので思い切って禁煙しましたよ。
そして言うまでもなく、その決断に「後悔」はありませんからね。
だからあなたにも禁煙をおすすめします。
おわりに
もしあなたがタバコをやめられないことに悔しさを感じているならば、それを糧にぜひとことん禁煙意識を高めていきましょう。
タバコが値上がりするたびに、あるいは喫煙所が撤去されるたびに、悔しさを感じませんか?
その悔しさがなくなれば、タバコをやめられないこと自体に「もういっか・・・」と諦めたり、考えることをやめてしまうかもしれませんからね。
「いや、それは嫌だ!」と思うのであれば、ぜひ本気で禁煙しましょう。本気の人は僕もこのブログで全力で応援しますよ。
タバコなんかに負けないで!^^
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それでは今回はこの辺りで。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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